2009年12月6日日曜日

地の底から

拷問のような日常を記録すべき何ものもない。

私はその中で血を吐き、呻き、息絶える。

そんな惨めな有り様を見つめるもう一人の自分がいて、そいつが私の息の絶え方をいつもどこからか冷笑し、憤怒する。

2000年5月11日、交通事故にて頚髄を損傷し、その結果、不全なる四肢麻痺によって「地の底」の住人となる。


 ―― 以下、韻律を踏まない自由詩を公開する。






   地獄


くるしみの先にくるしみがある
くるしみの前にくるしみがある

くるしみの中に地獄がある



   世界

私の中に世界が見えない
世界の中に私の影が見えない

世界の中に私を拾えない
自分の影を求める私を拾えない



    時間

いつの日か
噴き上げていく絶え絶えの熱量の残滓が砕かれて

いつの日か
噴き上げてきたものを受け止める被膜の陣立てが崩されて

いつの日か
ひたひたと鈍い時間を匍匐していくときの皮膚感覚が剥がされて

いつの日か
私の中枢に喰い入って
それなしに触感し得ない熱溜りが存分に喰い千切られて

いつの日か
爛れ腐った時間の芯が溶かされていく
視界が切断された冥暗の深い闇の淵に流されていく



    電流

手の中で
脚の中で
制圧できないほどの電流が騒いでいる

指先を劈いて
腹部を波打ち
意識をぶら下げた肉塊を地の底に引き摺り込んでいく

私はもうこの騒ぎを止められない
流されていく稚拙な技術だけが晒されていた



    呻き

壊れていくものの総体が
創られていくものの総体より
いつも少しずつ目立っていって

そこにいつか屍と出会っても
呻きを刻む僅かな熱量だけが
地の底で千切れかかった時間を係留していく



    黒い戦慄

 ひと足の踏み出しが
 もう疾風の恐怖に遊ばれている

 揺さぶられ
 突き抜けられ
 内側の電流を
 無秩序に掻き回され
 私はまもなく潜っていく

 刺激が痛め尽くした残像を弄って
 地の底の黒い戦慄の中に潜っていく



    陰翳

 驚き
 哀れみ
 慰め

 ひと剥ぎひと剥ぎ言葉が壊されて
 もう視界が幻影を噛めなくなって
 壊死による空洞が一気に広がった

 地の底に深く澱んだ陰翳だけが
 支配されるものの姑息な律動感すら削られて

 まだ動いている
 まだぶら下がってる


    最初の地獄

 未知のゾーンに持っていかれたときの
 爆轟の衝迫の傍らで馬鹿話が止まらない

 ふんだんに哄笑を撒き散らす
 俗世の蜘蛛の糸の舞踏が
 其処彼処に踊っていた

 それが
 救急車で運ばれた男が見た
 最初の地獄だった



    私のもの

 深く抉られた頸
 私の頸だ

 宙吊りとなった痩腕と痩脚
 私のものだ

 粒子状に砕いた情報だけが侵入する頭蓋
 これも私のものだ

 もう私のものはそれだけになった



    異形のライン

 得体の知れない
 黒々とした異形のラインが内側を席捲して
 ほんの僅かな安寧を偸み入れる幕間も引き剥がされて

 そいつが私の中枢を突き抜け 
 鋭角的に突き抜け
 間断なく 
 私の復元力を奪っていく

 中枢をくり抜かれて朽ちた幹の残骸が
 呻きを捨てられず
 一縷の鎮魂を拾えず

 溶けかけた粘液状の蜘蛛の糸に吊り下がっていた



    這い蹲って

 白みはじめた路傍に
 壊されかかった肉塊が匍匐していた

 街を這ってきた季節の風が
 非武装な肉の鎧を裂き
 肉塊が隠し込んだ絶え絶えの自我を裂き
 執拗に
 たっぷりと悪意を垂らして啄ばんでいく

 黒々とした野鳥の群れが
 囲繞されたものの悲鳴を呑み込んだとき
 死臭を漏らさない肉塊の突破力が
 ラインを砕けるか
 前線を粉砕できるか

 昨日もまたそうであったように
 磁力の齧られた路傍を這って
 這って
 這い蹲って
 
 そこに陳列された凄惨な崩壊を
 いっとき延し得るという不埒な信仰によって
 這って
 這い蹲って
 澱んだ空気だけで繋がれていた



    くすんだ中枢

 痛みの向うに
 もっと苛酷な痛みがあった

 そいつが
 閉じ込めても突き上げてくる記憶を引き連れて
 声を荒げるものを制圧するような爆轟を噴き上げて
 肉塊を襲ってきた
 肉塊が隠し込んだ一切の有機性を襲ってきた

 肉塊が隠し込んだ絶え絶えの自我は
 濁った赤を噴き上げて
 千切られた有機性を拡散させて
 虚空に広がる時間の無秩序に鷲掴みにされて
 もう駆動できないブラックゾーンの奥に放り込まれていく

 噴き上げても止まらない肉塊の中枢は
 苛酷の前の緩やかな痛みの時間に待機したのだ

 そこに今
 晒されて
 吐き出された残酷が記号となって
 時間の中で生気を喪った醜怪な赤が
 万遍なく囲繞された風景をだらしなく染め抜いてゆく

 そこには
 それ以外に有り様がない仕方で
 肉塊に張り付くくすんだ中枢だけが震えていた



    戦場の稜線

 地の底から
 重い扉の向うに
 途方もなく戦場が広がっている

 アスファルトの長い灰色のラインが
 どこまでもうねっていて
 私を間断なく弾き返してくる

 細胞に喰い込んでくる尖りの感触は
 それを受容しない限り
 私の前線を止められないのだ

 前線の途切れかけた向うで
 傷ついた人々のいっときの安らぎを拾っても

 そこもまた戦場だった
 迂回することを拒絶された私の戦場だった

 地の底からの鈍重な一歩
 戦場の稜線に踏み込む者の挑発のブラフだったか



    テロルの回路

 北面からやって来た鋭角的な群れが
 神経の貧しいラインを存分に喰い荒らして
 時間に待機させない悪意をも喰い荒らして

 崩壊記憶にすら追いつけない理不尽なブルーの氾濫
 いつまでも法則性に届かない理不尽なブルーの氾濫

 テロルの回路に切れ目がないのだ
 テロルの回路の絶対性に平伏すばかりなのだ



    前線の俎上

 ほんの僅かな時間の隙間で手に入れた快楽

 そこにもう
 次の暴力が追いついてきた
 いつもあっという間なのだ

 腕と言わず
 肩と言わず
 頸と言わず
 悲鳴を喰いながら痛めつけ
 祈りを潰しながら痛めつけ

 終りなきものの修羅を呆気なく突き抜けて
 いつでも長調の気分に乗って確信的に甚振るのだ

 そこにはもう
 安楽死という極上の担保すら潰されていて

 これ以上潰されるものがない前線の俎上を燥でいる
 回廊を抉じ開ける一切の相対化の技術を蹴散らして

 崩されゆく時間の甚振りの中で
 自壊した律動の狂騒を突きあげて
 完結できないゲームの無秩序を燥でいる



  〈生〉の残骸

 ガードレールクラッシュの向うに
 呼吸を繋げない肉塊の骸がなかった

 肉塊の骸の代わりに
 置き去りにされた〈生〉の残骸が捨てられていた

 〈生〉の向うにも
 気の遠くなる〈生〉の残骸が稜線を伸ばしていたのだ

 置き去りにされた〈生〉は
 殆ど肉塊の骸と地続きだった

 湿潤性が弾かれた〈生〉のリアリズム
 死体の代わりに拾ったのだ

 観念に寄り添えない〈死〉のリアリズム
 〈生〉の向うに見え隠れするのだ

 憤怒が
 憎悪が
 恐怖が溶かされないのだ
 頑ななまでに溶かされないのだ

 徘徊する自我の背後から
 冷たい幽気が不埒なラインをつくって
 〈生〉の残骸を囲繞する腐臭と和合した

 捕捉された肉塊はもう地底にしか棲めなくなった



    修羅の回廊

 走らされ
 走らされ
 へとへとになるまで走らされ
 もう走る熱量のひと滴も枯れ尽きて
 ブチンという感覚でゲームは閉じていた

 夢魔の世界だ
 闇から闇への修羅の回廊だ

 夜の旅の果ての疲弊の向こうに
 カーニバルの狂騒がひらかれる
 闇から闇への修羅の回廊が繋がったのだ

 内部配線が途切れた神経網が
 共食いの法則的な掘削力に削られて
 復元に届かない壊死の際にまで削られて

 削られ果てた無秩序の凄惨が私の日常だ



    悲鳴

 痙攣の一突き
 二突き
 三突き

 意志を粉々にし
 炙り出された悲鳴が
 鈍重な空気に潰されて

 意志に集合する分子を解体してしまった
 もう悲鳴すらあげられなくなっていた



    自爆

 一番大切なものと出会うために
 一番大嫌いなものに飛び乗った

 その日に限って
 私の一番大嫌いなものは
 恐るべき有機性と親和力を持つ生きものになった

 生きものは初めから私を翻弄し
 大切なものに至る蛇行したラインの中で
 行きつ戻りつして
 すっかりゲーム気分に酔っていた

 霧深き山々に誘(いざな)われて
 そいつは放埒なダッチロールを制動できず
 野放図な酩酊を撒き散らしながら自爆を遂げた

 そいつは自らを壊し
 私を壊し
 私の未来を壊したのだ

 一番大切なものを
 一番大嫌いなものを利用してまで手に入れようとした
 その自堕落な近代感覚

 そいつは
 そういう狡猾さを粉砕したかったのか

 自爆によって閉じた、
 お手軽な快楽弄りのゲームが吹き飛んで
 骸のほんの手前まで近づいた肉塊が晒された

 そこに必死に張りつくのは
 千切れかかった私の自我だ

 そいつが遣る瀬ない鈍重感を
 暴れるように吐き下し
 薄明の地底を這っていた

 そのくねくねした匍匐は
 自爆への行程をなぞったか
 地獄への行程をなぞったか



    逃走

 逃走だけが救いだった

 意識がそこに還るのを削ってしまうには
 催眠の世界に肉塊を放り投げることだった

 弱さを見えなくするためでもあった
 深まっていくだけの冥闇からの逃走でもあった



    意識

 意識を少し弄れば
 弄った分だけ自由になる辺りに
 呼吸を繋いでいた

 意識が少し眠れば
 眠った分だけ自由になる辺りに
 呼吸を繋いでいた

 それでも意識を弄れない
 意識が眠れない

 弄っても還っていくのだ
 眠っても還っていくのだ

 還っていくのは決まって冥闇の世界だ
 私という捩じれた現象の非日常の日常性

 いつもそいつが私の意識を呑み込んでいく
 いつもそいつが私の意識を解放系に帰還させない

 闇の記憶が存分に張りついていて
 私の意識は動けない

 いつもそこに立ち竦むのだ
 鎌鼬に突き抜かれて蹲ってしまうのだ



   安らぎ

 血流が切れていた
 両手が凍っていた

 呼吸が荒れて
 細胞が騒いでいる

 その一つ一つの細胞に
 電流が何層にも乗っかってきた

 激甚な疼痛が神経を喰い荒らし
 もう私の内側は
 アナーキズムの城砦になった

 私は死神を待っていた
 地獄の沙汰で怯える者のように
 私は死神を待っていた

 神に挑発する者の愚昧すら削られて
 私は死神を待っていた

 もう何ものもやって来ない
 死神の影すらそこに見えない

 安らぎがついに訪れないのだ



   闇の粛清

 垂れ下っているだけだった
 流木の重さが
 垂れ下っているものの重さの全てだった

 無秩序な喧噪の中を燥ぐ神経が
 私の内側をズタズタにして
 闇の奥に見えなくなっていた

 誰がそこに堰を架けられるか
 法則性のない叛乱にもうへとへとなのだ

 機能を喰い千切られただけでは済まなかった
 叛乱に怯える弱さをも
 たっぷりと棲まわせてしまったのだ

 次の喧噪がひたひたと
 もうそこまで這ってきていた

 垂れ下っていただけのものが
 予約された哀しさの中でかたかた震えていた

 流木の重さを垂れ下げていたものは
 痙攣によってしか流れの中に入れない

 闇の粛清がもう始まったのだ
    


    腐った時間

 もう別の世界に入っていった

 時間が腐っていた
 風景は表現力を喪っていた

 翼をもぎ取られたもののように
 皮膚を剥ぎ取られたもののように

 歪んだ母体が
 歪んだ苦痛を燃やしていた

 燃やしても燃やしても
 噴き上がってくるものを燃やしていた



   彷徨の錯乱

 生きているのか
 死んでいるのか
 掴み切れないような感覚が
 肉塊の中を当てどもなく彷徨っている

 彩を喪った彷徨の錯乱に
 世界が見えなくなり
 事態が見えなくなり
 私自身も見えなくなった

 網膜が千切れかけた肉塊に
 炸裂する疼痛の一撃
 司令塔を持たない中枢神経の一撃
 司令塔を持たされない爛れた自我への一撃

 骸になっていなかった残骸と
 今日もまた出会ってしまったのだ

 骸になっていなかった残骸が
 今度は彷徨を見えなくしてしまったのだ



    素質

 世界が壊れようと
 人類が滅びようと
 どうでもよかった

 何も生まない群塊が
 何も生まない時間を捨てていく

 観念をそこまで堕としたかった
 堕とさせるだけの素質が
 私にはないのだ

 見えるものを見えなくしてしまう素質が
 私にはないのだ



    究極的リアリズム

 幻想を膨らませなかったことが
 私を生かしている

 疲労を捨ててきた分だけ
 私を生かしている

 絶望の河を渡る
 ほんの少しの勇気が欠如した分だけ
 私は生きている

 「その日越え」

 この究極的リアリズムで生きている分だけ
 私は生きている



    時間を捨てる旅

 私には明日がない

 朝には夜がない
 夜には朝がない
 朝には朝しかない
 夜には夜しかない

 朝を越え
 夜を越え、
 その日を越えても
 また次の朝が攻めてくる

 いくらでも攻めてくる
 怒涛のように攻めてくる

 時間を超える旅は
 時間を捨てる旅なのだ

 捨てて
 捨てて
 捨て尽くして軽くなった熱量だけで
 私は時間を越えていく

 その危うさの向うに
 私はもう何も見ない
 何も覗かない
 何も望まない

 望むだけの重さを抱え切る腕力が
 今の私には
 もう何もないのだ



    意識の重さ

 子供にも
 楽々抱えられる身体だった

 それが私には重いのだ
 その重い古びた器の中に
 それよりも重い乾燥した意識が
 うんざりするほど詰まっている

 意識の重さが
 壊れかけた器の重さを定めてしまって
 私の時間はいよいよ重くなっていく



    宙摺りになった自我

 厄介な悪夢が
 厄介な夜の終りに
 厄介な城塞となって
 執拗に弾き返してくる

 弾き返された肉体は
 身の丈ほどの褐色の巣から這い上がり
 悪夢の残像を排泄しにいくのだ

 排泄しても捨て切れない残像は
 私をベッドに戻せない

 私は今日も置き去りにされた
 時間の隙間に潜り込めなくなっていた

 私を囲繞する色彩が
 一つ一つ削られて
 呻きを捨てる場所さえなくなっていく

 この厄介な残像を
 私の旅はまだ引き摺っている

 グワァーンという唸りをあげて
 深々と荒んだ黒の覚醒が
 この日も闇の奥から引き摺り出されてきた

 夜の果ての旅の終わりに
 氾濫した汚穢が喉元を突き破って
 そいつが河となって細胞を嘗め尽くし
 嘗め尽くし
 とうとう薄い時間の滓をドロドロに潰していった

 覚醒の不快!

 そこもまた闇と地続きだった

 この闇の回廊を尖った群れが飛び交っていて

 そいつらが私の頸を
 私の腕を
 私の腰を
 私の自我を
 呆れるほど無秩序に
 愉しげに突き、裂き
 私という現象の根拠を嬲ってきた

 誰かそいつらを止めてくれ
 ちっぽけな秩序を喰い殺すアナーキーな叛乱

 誰かそいつらを止めてくれ 
 ちっぽけな秩序を拾えない闇の回廊での孤絶

 宙摺りになった自我がもう元には戻れないのだ     


(2009年12月)